20230626_まだ太おばの話する

日記

性欲は極めて個人的なものであると同時に種全体の本能でもあるから、世界を動かすパワーとしてこれ以上はない。

・昨日の日記を読み返すと、「お前普段絶対そんなこと思ってないだろ」とつっこみたくなる壮大なことを力強く断言していて笑ってしまった。「これ以上はない」ってどういう立場から言ってるんだ。

・これに限らず文章というのは不思議で、書いているうちに自分の思考の一歩先に手が届く瞬間があるなと思う。「出会って4光年で合体」にもまさに、キーボードだと全ての指を動かすから脳が刺激される感じがある、という話があった。わざわざ日記をインターネットに書く意義として大事なことかもしれない。

太おば

・そんなこんなで、太ったおばさんの作品について今日もぼやっと考えていた。なんか、SFとしてすごい!みたいな褒め方だけする態度はズルい気もするのでちゃんと書くと、俺は太おばの漫画のことめっっちゃえっちだと思ってます。

・太ったおばさんの作品はおおまかには以下の法則に従っている。

1 小汚い醜男がロリ美少女に(おいしそうに)精飲させるシーンがある
2 1を満たす導線として、主人公側の犯罪的手段(脅迫・調教など)や世界側の調整(幼馴染設定、特殊能力、SF要素など)が描かれる

・原則、ありのままで醜男と美少女が惹かれ合い、結ばれるという展開はない。ここには作者の欲望と哲学が裏表になっていると思う。これは特殊な舞台設定がみられない『おさとうあまあま Hの法則!』に顕著で、運命の赤い糸がない以上、物理的距離を無理やり近づけるしか方法がないという思想が表現にも表れている(だからこそあのラストは美しい)。

・なお上記の2はグラデーションで、どの要素に重きを置くかによって主人公のクズ度も変わってくる。そこでいうと、4光年の主人公は過去最大に誠実であり、強引な手段にも出ない。そのため、誠実さに比例して世界設定の方をテコ入れする必要が出てくる。何の関わりもない醜男と絶世の美少女が完全合意あまあまおくちえっちに至るためには、世界を、宇宙を巻き込むしかない。そして主人公が誠実だからこそ隣人や超越的存在が味方してくれる。そこまでやってようやくゴールが見えてくるレベル。橘はやとが主人公の新海誠作品が成り立ちますかという話だ。

・その結果として、4光年はあそこまで緻密なSFになったと見ることもできる。自分が本作にグッときたのはそういう理由で、ポルノのために彫刻を彫り続けた結果SFの形になったというような、作者のエロへの誠実さが見えるところだ。「土の中で光を浴びるのを待っているポルノを、そのまま掘り出してそこに置く」とはまさにこの漫画のことで、作中でクリトリス爆撃機がアナルビーズに見せる執念はそのまま太ったおばさんの精飲への拘りに重なる。SFがやりたいだけなら、くえんが狐の手で精液を引っ張り出すあの名シーンが生まれるわけがない。(文章が酷すぎてよくわからなくなってきた)


・ということで思ってることが整理できたので満足です。たまには正面からポルノの話をするのも楽しい。