20210810_アイムベリーベリーソーリー

アイムベリーベリーソーリー 感想

 アルストLPやら更新がいっぱい来たため今書かないと一生書かない気がする!と思ったので、今日の日記はベリソの感想を書くことにした。

 とはいえ、結構考えを整然とまとめるのが難しかったので特に印象的だったことを箇条書きで書いていく形式にする。ちゃんとまとめられたらnoteにでも書いてたんだけど、むずいぜ。

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 それに、描かれる3つの「仕事」はそれぞれ重なり合っているものの独立したものだから、あんまり結びつけすぎようとするのもなんかこう、「お話」として読みすぎることになる気がしたので。

 

  • 「あい」について

 劇中ソシャゲの寡婦が欲しがっているモノを探すという行為は、「あい」を何かモノに変換して受け渡すことだ。本来の283アイドル達であれば、寡婦本人が何を思っているのか寄り添って聞くことを選びそうだけど、ゲームという構造だとみんな「物理的なモノを欲しがっている」と思い込んでしまう。真乃さんや霧子さんが最初客が妊婦さんであることを気遣えなかったこともそうで、アイドルとして普通にやっていることも立場が変わると見えなくなる。生花店での研修という裏方仕事を通じて相手をよく見ること、こころを伝えることを改めて学び、さらに「フラスタ」を契機に「贈るあい」だけでなく「贈られるあい」にまで視点が広がるのが見事だった。

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 そして、にちかさんとの対話を通しての、「何が欲しいのか」から「どうして自分は一緒に探したいのか」を重視することへの転換。いろんな人が言っているけど、「あい」は「I(私)」であり「あいて」との「あいだ」に生じる「愛」だ。私であるという主体性の獲得。寡婦が本当に求めていたものもまた、「自分自身を愛する心」だった。エピローグでのまみちょこは、自分で水切りした花を自分へのご褒美に買う。それだけに留まらず、その互いの「セルフラブ」を交換することを選ぶ。これはもうシャニマスの到達点というか、1つのシナリオでここまでやってしまうの!?っていう驚きがあった。

 

  • 花について

 水切りをするシーンでの「花」、アイドルそのものだなと思った。(生花店仕入れられるような花は違うかもしれないけど)花は本来自然の中で咲いて、種をつけて、また次の花を咲かせる輪廻の輪にいる。アイドルにスカウトするということは、そこから花を摘み取って、長くは生きられない環境に移すということで、Pの仕事はできるだけ長く咲いていられるよう丁寧に水切りをすることだ。そうすることで、花はこころを伝えて、それが誰かの中に残っていく。また、フラスタが示すように、花はファンからアイドルへこころを伝えるものでもある。

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 このあたり、にちかW.I.N.G.での「にちかがアイドルだった時間のこと、誰もが覚えていられるように」とすごく重なるなと思って読んでた。植物や水はシーズのモチーフと通じるし。

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 だから、最後に売り物にならなくなった花が手折られるシーンで霧子さんが「赤ちゃんと入れ替わった」と言ってくれたことがすごく嬉しかった。一見すると花の命と赤ちゃんの命は関係がないけど、常連さんが買っていった花を通してなにか一つでもこころは伝わっているかもしれなくて、そうやって繋がっていくものがあると示してくれたようだったから。八雲なみはアイドルとして幸せではなかったかもしれないけど、彼女が残したレコード等を通じてにちかさんというアイドルが生まれたわけだし、にちかさんがW.I.N.G.決勝で敗退しても、きっと残るものがあったはずだ。シーズの活動を通して今まさに生きる力をもらっている人もいるかもしれない。

 

  • 劇中劇について

 めちゃくちゃ自己言及的というか、メタ読みしてくれと言わんばかりの内容だった。ゲーム内での「あい」って完全にシャニで言うジュエルだし、実生活での実利を置いてアイドルのカードに課金する我々は骨董商の寡婦にあいを献上する姿と重なるようにすら感じる。ガチャ2回分のお金でたくさん調味料が買えます、はい…。

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 プロローグではガラクタを買い取る寡婦を描いた直後に、彼女たちが水切りした花を付加価値にしようとせず「定価より安く」売る店長が登場し、適正な価値を決めることの誠実さを思わされる。10連3000円は高すぎるってお前ら運営も思ってんだろ!?

 で、恋鐘さんを通して「お金と時間をかけてあいしてもらった分ちゃんと彼女たちは幸せになりますよ!」というエクスキューズまで入れてくる。「俺も疑わないよ」とシャニPの口を借りて我々に言わせる徹底ぶり。めちゃくちゃやってるな。

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 最後の「あのひとの生きる世界のために」も、アイドルでなくなったとしても、シャニマスが終わったとしても、彼女たちが幸せでいられることを祈りたい気持ちと同期する。f:id:sasa_gusa:20210811001104p:plain

 にちかさんに「お話が暗いし夏っぽくない」って言わせるのもすごい。それはまんまあなたたちのシナリオでは? というか、この劇中ソシャゲ自体が「いわゆる"アイテム交換所のキャラ"が本当は何を欲しがっているのか」っていうメタ的構造を逆手に取ったお話なんだよな。どんだけ入れ子構造なんだよ!

 

  • 「ただのピクニック」について

 これは前の日記にも書いたことだけど、にちかさんが真乃さんたちのやっていることに「それってただのピクニックですよね」と問いをぶつける展開がついに来た。いきなり「職場体験がどうとか、ゲームがどうとか」とぼやくにちかさん。

  これに対して、真乃さんは賃金の出ない生花店での研修を「お仕事だから」と言う。生花店の店長は「このさいお金のことはいい」と言う。シャニPはソシャゲで遊ぶことを「うちのみんなが頑張った仕事だから真剣にやる」と言う。智代子さんは「ゲームをやることで恋鐘ちゃんの応援ができる」と言う。「仕事」と言う言葉を辞書でひくと、「何かを作り出す、または、成し遂げるための行動」であると第一に出る。彼女たちにとっての"アイドル"は「お金を稼ぐための仕事」というより「自発的な態度の表れ」のことだ。「事務所の方針」ではなく、「彼女たちの流儀」だ。だからそれはステージに立つ時間に限ったことではない。そんなふうに生きられたらどれだけいいだろう。

 

  • シーズについて

 ノー・カラットで「水」に注目していた身としては、にちかさんが美琴さんにドリンクを作っているシーンがあったのはすごく嬉しかった。相変わらず噛み合っているとは言えない2人だけど、「基礎練習を教える」ことになってからは視線を合わせてアイコンタクトをとるシーンも増える。生花店の店長の言う「相手のことを見る」ことが少しずつできるようになってきているのだと思いたい。

 美琴さんの「夢を諦めたら、夢を諦めた人になる」は画家や歌い手になれなかったゲーム内の夫婦と重なる。シーズは「後戻りできない」と思っている2人組だ。そんな彼女たちに、恋鐘さんの「い〜っぱいやり直せますように」が刺さる。何かを諦めても人生は続いていくし、最後の最後に「ああよかった」と思えるものが見つかるかもしれない。

 このあたりのシーンの裏では摩美々さんの遅刻理由の話があり、相手の視点に立って共感を示す智代子さんに摩美々さんは「バケツを一緒に持つ」ことで応える。シーズの2人と対照的なやりとりだが、最後の最後、エピローグで美琴さんがにちかさんに寄り添って一緒に基礎練をする様子が描かれる。美琴さんからにちかさんへ「あい」が受け渡されている良いシーンと見ることができるが、やはり依然として「セルフラブ」に関しては両者とも掴むことが出来ていないように思われる。

 

  • そのほか

 劇中ソシャゲのおかげで、普段聞けない声の演技がたくさん聞けてありがたかった。特に真乃さんが妻にブチ切れる場面はゾクゾクしました。にちかさんの演技も相変わらず良かったな。ゲームを邪魔されて「プロデューサーさんマジ(⤴)で冗談じゃ…」って声が裏返るとことか見事すぎた。

 文章も、劇中劇という体裁を盾にシナリオチームがやりたい放題やっていてよかった。本当はああいう地の文書きたくてしょうがないんだろうな。

 

ということで、めちゃくちゃ長くなったしもう夜遅いので、今日の日記はここまでにします。